ハルが入学した小学校(心障学級/現・特別支援学級)では、障害を軽減するためにと授業外に、理学療法士や作業療法士、言語聴覚士など各種療法の指導を受ける時間のことがこう呼ばれていました。
障害のある子の周囲では、訓練とか指導とかものものしい言葉が、医療機関に限らず日常生活の中で頻繁に登場します(いつも連想するのは「特殊レンジャー部隊」です)。その後入学した都立特別支援学校では、それに相当する時間は「自立活動」と呼ばれていました。旧態依然の「障害者の自立観」がよく現れている受け入れがたい呼称です。
まず、主な療法の内容を、私なりの理解の範囲でざっと説明します。
○ 理学療法(physical therapy)……略称でPT(ピーティー)と呼ばれる。歩く・立つ・座る、など日常生活動作に必要な身体機能の回復(獲得)が目的。赤ちゃんや子どもの場合、「発達のモデル」として決まった身体機能獲得の順路が定められており、その地点を通過していない場合「そこで停滞している=発達遅滞」と見なされ、その獲得を促すための手立てを、獲得するまで施し続ける。手立てとは、例えば腹這いで首を持ち上げない子には「腹這いの姿勢をとらせて、首を持ち上げやすいよう胸の下にクッションを挟み、モチベーションをあげるために好きな玩具や絵本をその前に置き、首を上げるように促す」。
加療以外の役割としては、その子の身体の状況にあわせた車いすを作るとき、処方する整形外科医に座位保持(シーティング)や日常生活動作上欠かせない装置を提案したりすることもある。
○ 作業療法(occupational therapy)……略称でOT(オーティー)と呼ばれる。つかむ・押す・渡す、など日常生活作業に必要な身体機能の回復(獲得)が目的。子どもの場合でもPTのように確固とした発達のモデルはないし、所作そのものにもスタンダードは求めず、個別の状況を測って対処する。自助具(その人の不自由を補い作業を容易にする生活上便利な用具)などを提案したり作ったりするのも職務。
しかし、目標とする到達点は飽くまで「作業(所作)を援助なく単独で行えるようになることが改善」というところに設定してあるので、子どもの場合、その評価に重きが置かれ、その手立てとしてしばしば訓練的なシチュエーションが設定される。例えば、なかなか物に手を伸ばさない子どもには「暗闇の中、ピカピカ光り音をたてる玩具にスポットライトを照らし、声をかけてそちらに注意を向け手を出すように促す」。
○ 言語聴覚士(speech-language-hearing therapy)……略称でST(エスティー)と呼ばれる。しゃべる・食べる、の二つの口腔機能の回復(獲得)または代替手段の獲得が目的。子どもや赤ちゃんの場合、食べる(呑み込む、噛む、歯を磨く)ことについては、歯科口腔科の医師と協働して「摂食指導」という枠で家族に日常生活上のアドバイスをする。「しゃべる」ことについては、その遅れが知的障害(と呼ばれるもの)のためなのか、聴覚障害のために自らの声をフィードバックするのが不自由な状況が妨げになっているのかを測り(聴覚障害がなければ知的障害に決定)、それぞれ別の手立てで指導する。重度重複障害なら摂食指導、知的障害ならコミュニケーション手段獲得指導、聴覚障害なら(手話ではなく)構音(口話)指導、という振りわけ。
これらの療法については療法士になるために国家資格が必要です。平成7(1999)年のゴールドプラン21制定以来、高齢の方対象のデイサービス施設など活躍の場が増えたことで社会の認知度が一気に増しました。今や看護師や薬剤師のようなコ・メディカルとして認識されるようになっています。
療育センターでは、理学療法や作業療法、言語療法などはすべてリハビリテーション(リハビリ)と呼ばれていましたが、内容は全く同じ。一説によると、医師の監督・指導のもと医療機関で行われるのがリハビリで、それ以外の場合は機能訓練と区別しているとか。ちなみにリハビリテーションというのは、日本語にすれば「更生」。アルファベットにしてしまえば印象がソフトになるとばかりあまり目にしなくなりましたが、今でも「身体障害者更生医療」とか「更生相談窓口」とか正式な文書の中で使われています。リハビリテーションという言葉は、もともとキリスト教を破門された人(その文化においては人間ではない者という烙印を押された人)が、再び(リ)「人間である(ハビリテーション)」と認められることを言いました。ジャンヌダルクやガリレオを語る時に出てくる言葉です。子どもや赤ちゃんは「ハビリテーション」と呼ぶべきという人もいます。しかし、そう考えると「障害のある子はまだ人間ではないと言いたいのか?」とますます気分が悪くなります。
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