ハルやトッキーのような生まれつきとは違い、主に事故や病気によって人生の途中で障害のある人になることを中途障害といいます。生まれつきの性質で、だいたいいつごろそうなるかが分かっていたり、次第に症病が進行していくことも含まれます。
全く同じ状況だったとしても、中途障害の人からは、生まれつき障害のある人にはない苦悩を感じることがあります。
中途障害の人とは「それまで障害というものに縁がなかった人」と言い換えることもできます。
全く同じ状況だったとしても、中途障害の人からは、生まれつき障害のある人にはない苦悩を感じることがあります。
中途障害の人とは「それまで障害というものに縁がなかった人」と言い換えることもできます。
この国では超高齢社会を迎えて、経年変化(老化)も中途障害と捉えて「誰でもいずれ長生きして障害のある人になる可能性はある(だから自分がそうなっても生きて行ける環境・思想づくりをしよう)」と言う声が盛んにきかれるようになりました。自分の問題となればぐっと関心(好奇心)が湧きますし、その先にあるのは共感。「なるほど」と思います。このことを感じ切るのはとても重要だという気がします。
老いによる変化を、いつもそれを「成長だ!」と素直に喜べない自分を思うとき、私の場合、そこにあるのは「寂しさ・切なさ」で、それらは必ずしも負の感情とは言えず人生にいつも必要なものです。ハルやトッキー、そして二人のおかげで知り合うことのできた沢山の人たちのおかげで老いについて「恐怖」や「絶望」を感じることはもはやないのですが、ここを感じ切り「なぜそう感じるのか」直視すれば、その負の視点から「生きて行ける環境・思想」像が浮かび上がるでしょう。私は甘い。むしろ障害というものと全く縁のなかった人たち(中途障害の人たち)の感じ切る力を応援し、声を聞きあうことで、沢山のことが見えて来る気がしています。
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