「介護の社会化」という考え方が社会に一気に浸透したきっかけは、間違いなく平成12(2000)年の「介護保険」の登場でした。
この国が本格的に高齢化社会に備えた「対策」を模索しはじめたのは1990年代初頭です。平成元(1989)年に高齢者保健福祉推進10カ年戦略「ゴールドプラン」が策定されホームヘルパーの養成や特別養護老人ホーム・短期入所など施設の緊急整備、自治体による在宅福祉対策の実施など具体策が掲げられました。このプランは5年後に高齢者保健福祉計画「新・ゴールドプラン」としてより在宅介護支援に力を入れる方向で全面的に改訂され「介護保険制度」の実施を前提として、それに必要なヘルパーや訪問看護ステーションの設置数が具体的に示されました。
介護保険制度開始の前年、新たに「ゴールドプラン21」が示され高齢のかたが生涯「活き活きと過ごすための社会や地域による支えあい」が強調されます。グループホームの設置も初めて推奨されました。このとき「家族介護には無理があった。しかし安易に施設入所を勧め、それまでの生活をあきらめてはいけない。高齢者介護の問題は地域・社会全体で支えましょう」という啓蒙が一気に進んだのです。
介護保険制度開始の前年、新たに「ゴールドプラン21」が示され高齢のかたが生涯「活き活きと過ごすための社会や地域による支えあい」が強調されます。グループホームの設置も初めて推奨されました。このとき「家族介護には無理があった。しかし安易に施設入所を勧め、それまでの生活をあきらめてはいけない。高齢者介護の問題は地域・社会全体で支えましょう」という啓蒙が一気に進んだのです。
この3つのプラン策定の流れを見れば、「思ったより急激に高齢者が増えそう。施設整備にお金がかかり過ぎる。在宅のままそれを支えるという方向に転換しよう」という思惑があったことは間違いないと思いますが「家族の責任」というこの国の社会(文化)の常識は少なからず変化し、個人が負わされていた目に見えない重圧が随分と軽くなり、少なくとも立ち止まって常識を疑い、モノ申せる雰囲気になるには効果絶大でした。
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