自閉症やアスペルガー症候群、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動症候群)などを「法律の谷間に置かれて来た人たち」とし新しい障害名「発達障害」と総称し支援しようという目的で、平成17(2005)年4月から施行された法律です。
障害の支援方法は、従来通り。まず早期発見そして早期療育。障害特性を測り、提示されたそれぞれの障害特性にふさわしいライフステージを念頭に置き、そこに向けてひとりひとり違う人間を調整していこうとするものでした。新たな特別支援学校や学級も「支援」のひとつとして設置されることになり、この「学校(公教育)が生まれ変わる」最大のチャンスを逃し「学校(公教育)」と切り離される子どもたちをまた増やしました。
障害の支援方法は、従来通り。まず早期発見そして早期療育。障害特性を測り、提示されたそれぞれの障害特性にふさわしいライフステージを念頭に置き、そこに向けてひとりひとり違う人間を調整していこうとするものでした。新たな特別支援学校や学級も「支援」のひとつとして設置されることになり、この「学校(公教育)が生まれ変わる」最大のチャンスを逃し「学校(公教育)」と切り離される子どもたちをまた増やしました。
このとき、それまでわけも分からず一方的に蔑まれたり、叱られたりたりして排除されてきた子どもたちの行動のすべてに正当な理由があることが明らかにされ、それを受け止める機会を得た人たちも少なくなかったのです。中には自分のこととしてそれを捉え、同じ人間として、これまでどれだけ辛かっただろうか、どれだけの子どもが可能性を奪われてきたか、を生まれてはじめて感じた人もいました。しかし「こう学校(公教育)が生まれ変わったら、この同じ場に受け入れられていたものの排除され続けて来た子どもたちも共に学びあうことができる……」というアイデアは全く出なかった。そういう動きには、全くならなかったのです。ショックを受けるほど、全く、微塵も、ならなかった。驚くほど、ハルたち今までの障害のある子と同じ手法がとられたのです。メインストリームの学校(公教育)は変える気はない。そこで「手に負えない」子用の別の場所を作る。別の専門職をつける。共同学習など交流は保障する。……。
涙を流さんばかりに喜んでいたのは、保護者たちでした。その気持ちも私は痛いほど分かる。「ああ、おそらくかつての養護学校義務化の時ってこんな感じだったのかな」と思いました。その保護者の中にも、数年度、高等部を卒業する頃には「やっぱり意味なかったかな、というか一緒にやっていけないけど学力はあるって思っていたほど意味なかったかな、と思うよ。辛いこともあったけど一緒にいた事実は強い」と言う人もいました。出て行く先は、公教育を受けたーーしかもかつてとは違い分けられたゆえ、お互い未知の存在と化した人たちとともにある社会なのですから。
例えば、学校の先生が「窓際のトットちゃん」が窓際にいる必要性を理解した上で認めて信頼し、その信頼を日々の生活の中で身をもってトットちゃん含め子どもたちに伝えて行く……学校が生まれ変わるとはそういうことです。エレベータ設置と同じくらい、手話通訳介助と同じくらい、点字教科書と同じくらい……その事で有機的に環境は変わるのです。
発達障害者支援法
全文はこちらに掲載されています↓
全文はこちらに掲載されています↓
厚生労働省のホームページにおおまかな概要が示されています↓
発達障害者支援施策の概要
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/hattatsu/gaiyo.html
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